【塾長コラム】GWは博物館に遊ぶ
上野の東京国立博物館の近くに住んで三十年。老化のためすこぶるフットワークの悪くなった私だが、妻に手をひかれ、特別展、『空也上人と六波羅蜜寺(くうやしょうにんとろくはらみつじ)』展に行ってきた。コロナも気にしなくていいので、我が家の博物館遊びは、混雑をさけてきまって閉館まぎわの時間をねらう。
空也上人像は、こぢんまりとした展示室の奥に静かに鎮座していた。
寺にいらっしゃる時は正面像と向き合うことしか出来ないが、博物館では、仏像の周囲360度から拝することができる。
慶派(運慶のグループ)の作造とあって、その限界を越えたリアリズムがとても心地よく、しばし至福の時間を過ごすことができた。
空也上人は、平安時代中期の、今から1000年ほど前、まだ仏教が高貴な人々のものだったころの僧。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と称えることで浄土に近づけるという作法が市井(しせい)の人々の心をとらえた。
法然や親鸞が登場する前なので浄土宗や浄土真宗などの宗派仏教ではなく、歴史の教科書的には、“浄土教”といわれるくくりとなる。釈迦(しゃか)の思想が滅びゆき世の中がこなごなに壊れてゆくという末法思想がただよい、長く饑饉(ききん)が続き京都周辺では伝染病が蔓延、だれも彼もが自らの生とか死とかにいやおうなく真剣に向き合わざるをえない時代。
極楽(=浄土)とか地獄というイメージがくっきりと現れ、日本人の心がいいようのない不安に覆い尽くされていた頃。
藁をもつかむように人々は空也にすがったにちがいない。
そしてそれから200年後、鎌倉殿の十三人の時代に天才彫刻師が現れる。運慶だ。この空也上人像は、その運慶の四男、康勝(こうしょう)が作と伝えられている。
南無阿弥陀仏と称えた声が、小さな仏様になって口から現れるという意匠も秀逸だが、皮衣(かわごろも)のごわごわした質感、全身にみなぎる教えを広めるという上人の強い意志の表現などが、緻密な造形をつむぐことによって完璧に実現されている。すごい仕事だ。
ただただ感動した。
勉強クラブ塾長 深 谷 仁 一
日本放送作家協会/日本脚本家連盟員