【ヒゲ先生のコラム】この世に実在しないものの学び
「先生、-1個(マイナス一個)のキャンデーなんかないヨ!」
中学生になって算数から数学の学びに入り、《正負の数》を導入する際、先生がまちがってキャンディーを使って説明しようとすると生徒から必ずそんな意見が飛び出てくる。
先生の予定では0(ゼロ)よりも少ない数があることを導入しようとして
「キミがね、キャンディーを3個持っていてね、友達に2個あげると《3-2で1》になるよね。友達に3個あげると《3-3で0》」
と、ここまではおとなしく聞いていた生徒も先生がマイナスの数があることの説明導入で、
「じゃあね、キミがキャンディーを3個持っているとしてね、友達に4個あげたらどうなると思う?」
とやると、
「キャンディーが3個しかないのに、友達に4個あげるなんてできないし・・・」
とくる。
これは生徒の方が正しい。
-1個のキャンディーは、この世には本当は無いのだから。
-1(マイナス1)という数はあっても、-1個のキャンディーは、この世には実在しないのである。
-1個のキャンディーは実在しなくても、-1という数は、ある。小学校の算数では見たことのない数だ。
で、この-1、どこにあるかというと、それは概念(がいねん)、つまり人間の頭の中にあるのである。0よりも一つ少ない数として。
茂木健一郎や養老孟司らの文章を読むまでもなく、われらニンゲンは、この世に実在してなくても、アタマの中に浮かべることができれば、それは「ある」のである。
あるのだから、それに名前を付けて呼びならわそうとするのはニンゲンの習性で、この世に無くても人間のアタマの中にあるものは「ある」のである。
やや哲学的な話になってきたが、われわれ人間はそう認識している。
で、ここが問題。
この世に実際にある数の世界にいた小学生の学びに対して、概念(本当はこの世には実在せず、ヒトの頭の中にだけあるモノ)の学びは、それまでより少し高度な学びになるから、先生の導入が失敗すると、子供たちは混乱してしまいかねないからである。
しっかり、概念を組み立てられないと“理解”することができなくなる。さらに、新しい概念を学ぶためにすでに知っている概念を積み重ねる、なんてことも必要になる。
数学だけではない。国語も理科も社会科も、中学生になると新しい概念(考え方)がたくさん登場する。
だから、子供たちに“理解”してもらうために、有能な先生方は的確な例を用意して待っているのです。さて、《正負の数》の導入ではキャンディーではなく何を用意しておけば最適解だったでしょうか?
目の前にある具体的な《モノ》の世界を超えて、《概念》を学ぶことが中学生の学びの中心になるのです。
日本脚本家連盟会員
日本放送作家連盟員
深 谷 仁 一