【ヒゲ先生のコラム】思考力、どう育てる?
みなさんは、学校・塾にかかわらず数学や算数の授業、特に応用問題の授業がどうなっているか、ご存じだろうか?
単元の始めに“例題”が掲げられていて、たいていは、先生がその例題を解説しながら解いて見せる、というのが一般的です。 先生は予め模範的な解き方や答えを知っていて、その答えに向かって解き進むという授業。きわめて予定調和的ですから、退屈な授業になることが多く、先生は説明の仕方を工夫したり、途中で冗談を言ったり、指名をくりかえしながらといった具合です。
だから、先生の発言は
A先生「これはね、こうなっているから、こうしてこうひねってね、こんなふうにやると正しい答えにたどりつくんだ。じゃあ、キミらも真似してやってごらん」
となる。
解き方の例を先生が全部解説するので、数学・算数が本来は生徒たちの思考力=考える力を育てるはずなのに、案外、その目的にかなっていない。
例えば、
B先生「あのね、今日の例題は先週やったやつと違うから、みんなはどうやって解いたらいいと思う? ここのとこが問題なんだけど、キミらならどうやって解決するつもりなの? どういう理由でそうするの?」
と、発問する。つまり、生徒ひとり一人に“考えさせる”きっかけをしっかり与える、といった授業。
B先生の授業は、真に子供たちの思考力を身につける方法にはなるが、実は先生によってはとても怖い授業でもあるのです。
真に対話的授業をすることになるので、先生側のコミュニケーション能力が要求される。しかも、「キミたちはどう考えるんだい?」と問いかけると、模範解答とかけ離れた予想をこえた突飛な意見がとびだすことがある。
能力のある先生なら、その子がどうしてそうした考え方に至ってしまったかを即座に悟り、
「キミはここをこう考えたのかな。だとするとここんとこが矛盾しちゃわないかね」と、そっと間違いを指摘できる。サポートも的確にこなすことが可能だ。
ただ、個別指導だろうが集団授業だろうが、このB先生のやりかたは、実は相当手慣れた先生でないとできない。
生徒たちに問いかけるB先生の授業スタイルは、時間内に予定していたカリキュラムどおりに授業目標を達成する確率も低くなってしまう。B先生の授業は時間がかかるのだ。それよりも、A先生のように手本を示してはい終わり、というほうが手っ取り早いのだ。
だから、日本全国の数学・算数の先生はA先生のように延々と“解いてみせる”というお手本授業に終始している。
果たして、子供たちの思考力=考える力は、本当に育っているのだろうか? ちょっと恐ろしい。
ゆったりと生徒たちに考える時間を与えられる真に対話的な授業、アイルランドやベルギー、ノルウェーのように消費税率が25%前後というような建て付けの国柄でないと、そうした豊かな教育は無理なのかもしれない。
ソニーの盛田昭夫、ホンダの本田宗一郎がいた時代、日本国はアメリカに次いで世界第2位の国内総生産(GDP)を誇っていた。それが今は中国、ドイツなどの後塵を拝し第4位。もうすぐインドに追い抜かれるのではないかと言われている。
もっと深刻なのは、国民一人当たりの『労働生産性』が世界29位で、まもなく韓国にも追い抜かれるのではないかと言われている。
国民ひとり一人が自分で情報を集め、創造工夫し決断できる力、すなわち真に考える力を持たないと、わが日本国はどんどん貧しい国に転落していくかもしれない。
かつて美術の時間に、すでに下絵のある塗り絵ではなく、真っ白い紙に一から自由に自分の絵を作り上げなさい、と言われた記憶はないだろうか?
子供たちの思考力を育てない限り、日本からイーロンマスクやザッカーバーグのような人材は、たぶん生まれない。
もっと教育にお金をかけないと、いい授業のできる数学の先生が増えないと、国は滅びてしまうかもしれない。
深 谷 仁 一
日本放送作家連盟員
日本脚本家連盟会員