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塾長コラム

【ヒゲ先生のコラム】一問一答形式の指導は効果少なし

弁慶と牛若丸
 皆さんは、一問一答形式の問題集があるのをご存じだろうか。
①鎌倉幕府を開いた初代の将軍は誰?→(源頼朝) 
②壇ノ浦の戦いで平家の滅亡に活躍した人物は誰?→(源義経)
 というように、問いとそれに対する答えが羅列してある問題集です。

 実は、この問題集、手元に模範解答があればどんな素人の先生にでも指導できるので不慣れな学生の先生を多く雇用する塾では当たり前のテキストとして使われています。

 勉クラでは、あまりこの一問一答という、まるでクイズ番組のような指導はしていません。今、勉クラの社会科は、50年の教務部の指導文化の流れを引き継いだ現塾長の金城先生がリーダーとなって指導しています。特に歴史の授業では、一つ一つの出来事が“連続したつながり”の中にあることを塾生たちにどう伝えるかについて腐心しています。
 歴史事項は一問一答式にバラバラにマル暗記させてもあまり意味がないということを──。

 例えば

先生「あのね、牛若丸と弁慶(べんけい)のエピソード、知ってる人、いるかな?」
太郎「乱暴者の大男の弁慶ていう人がいてね、京都の五条大橋で、通る人を襲っては刀を奪ってたんだけど、牛若丸というチビの侍に決闘を挑んで敗れたっていう話、だっけ?」
先生「太郎、よく知ってるなあ、すごいぞ。伝説だから事実とは違うと思うんだけど、牛若丸はとにかく身軽でね、橋の欄干を飛び交って、見事に弁慶を降参させてしまうんだ。その時から弁慶は、この牛若丸に服従して、一生ついていこうと思ったらしい」
洋子「この間の修学旅行で、その五条大橋を見てきましたあ」
先生「おう、それはいい経験だったなあ。それでね、その牛若丸って名前は幼名(ようみょう)でね、大人になると、源義経(みなもとのよしつね)を名のるようになるんだ。」
次郎源頼朝の弟でしょ?」
先生「次郎、お前は大河ドラマのファンだし、歴史に詳しいから、よく知ってるなあ」
次郎「フフ」
先生「二人は兄弟って言っても義理の兄と弟なんだよ。で、源頼朝は平家を倒して鎌倉幕府を成立させようとしていた。でもね、実際には頼朝のもとに馳せ参じた弟の源義経がさ、その平家打倒では大活躍をしちゃうのね」
次郎「一ノ谷の戦い、屋島、壇ノ浦の戦い、ですね」
先生「そう。それで、義経は京都にいたから後白河上皇の信頼も厚くなり、兄の頼朝は、徐々にその義経に嫉妬しちゃうんだな」
洋子「兄弟喧嘩」
先生「まあ、そうだ。ジェラシーっておそろしいな、頼朝は、しまいには、義経を討てと配下に命じる。義経は若いときに親交のあった奥州の平泉を頼って逃げていくんだけど、逃げ切れず最期には自害するんだ。歌舞伎十八番の中に勧進帳(かんじんちょう)ってのがあるんだけど、義経も弁慶も登場するやつ。面白いから興味ある人はネットとかで調べてごらん」

次郎「先生、衣川(ころもがわ)の戦いの話は?」
先生「次郎は本当に歴史にくわしいなあ。義経と武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)は、奥州の衣川で、追っ手との間で激しい戦いをするんだ。それを衣川の戦いっていう。のちに江戸時代になって松尾芭蕉がね、この地を訪れたときに、夏草やつわものどもが夢のあと、って『奥の細道』に記したところだよ。国語の得意な人は聞いたことがあるかも。ああ、今は夏草が静かに茂っているこの場所で、その昔、武将たちが血で血を洗う戦いをしたんだなあっていう感慨を俳句に詠んだんだ」

 と、一斉授業の中で、先生は生徒たちの意見を集約しながら様々な知識をつなげていきます。頼朝と義経の関係も、バラバラの事象ではなく、一つの物語として頭の中にイメージさせる。

 これは結果論ですが、勉クラでは、全体の成績の中で社会科の偏差値がとても高いんです。それは、金城先生チームの指導法が正しいからだと思います。だから、勉クラは五科目受験に強く、公立難関校に何人もの合格者を輩出できる

 社会科だけでなく、理科なども、クイズ形式の一問一答の指導では本当の実力をつけることはできません。先生が、ある知識と関連する別の知識、一見バラバラに見えるその事象を、どううまくつなぐか、事前の授業準備の中でその工夫に努力しているからなのです。

 教科指導は、専門家が時間をかけて『どう教えるか。教える前に何をいかに準備するか』が肝心なのです。


深 谷 仁 一
日本放送作家連盟員 
日本脚本家連盟会員

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